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「無料でいい」と言えば疑われ、「善意です」と言えば裏を探られる。

私たちは、そんな時代を生きている。無償の行為が“おかしい”と思われる社会。それが、どれほど人の表現を狭くしてきたか。

私は、その現実を黙って見過ごすつもりはない。



なぜ人は善意を疑うのか

いまの社会は、お金が前提で動いている。損をすれば悪、得をすれば正しい。そんな空気が当たり前になった。

たとえば、誰かが「無料素材を配ります」と言えば、「何か裏があるんじゃないか」とすぐに疑われる。それが優しさから生まれた行動でも、「打算的だ」と切り捨てられてしまう。

確かに、善意を装った偽善が存在するのも事実だ。だがそのせいで、本当の誠実さまで信じられなくなった。

私は思う。疑われるほどの善意こそ、本物なのではないかと。そして、信じる人が少なくなった今こそ、信じる側であり続ける人間が必要だ。





善意をやめた瞬間、この世界は損得だけで動く場所になる。そんな社会で、創作が息づくはずがない。

だから私は、“無償の音”を鳴らし続ける。

私の音楽は、誰でも使える。無料BGM、著作権フリー音源、商用利用OK。クレジット不要、請求なし。

それは「慈善活動」ではない。創作の自由を守るための選択だ。

音が人の想像を縛るものであってはいけない。むしろ、誰かの作品を支える“基盤”であるべきだ。

だからこそ、私は音で支える。利益ではなく、信念のために。



創作の自由を取り戻すために

私は、信じてもらうことを目的にしていない。理解されなくても構わない。ただ、私の音が誰かの表現を支え、その作品が世界に届くなら──それが、私にとっての報酬だ。

お金で縛られた創作は、いつか限界を迎える。だが、自由に鳴る音は、誰の心にも届く。

私は、その未来を信じている。そしてこれからも、疑われても、無償の音で創作を支え続ける。




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